
http://papapapanda.txt-nifty.com/nagomi/2007/08/1_3dbc.html
2007年8月に私が書いた記事です。
わがまま勝手な朝青龍が大いに叩かれた時期、当時の流れに反し、私は朝青龍をかばう立場でコメントしています。
まず結論から言うと、私は横綱としての朝青龍、好きでした。
引退、本当に寂しい。だけど、これもひとつ「引き際」として「横綱の務め」かもしれない、と評価もしています。
さて、この朝青龍問題に、私は2つのアプロ...野球松井秀喜選手のニュースを見た。昨秋の近畿大会1回戦の応援に行きました。クリーンナップは派手さはないが、いい中距離打者がそろっていて、集中打が出るのが魅力です。つなぐ野球ができているのでは。冬の筋力トレーニングなどの成果が出て☆ ブー太郎、『ちびまる子ちゃん』に登場するキャラクターの誕生日
☆ プロ野球の日(日本)プロ野球が誕生したことに由来。
当時の加盟チームは、東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋ドラゴンズ、東京セネタース、名古屋金鯱軍、阪急軍、大東京軍の7チーム。
☆ 笑顔の日、いつもニコニコと笑顔になっていようという日。
☆ ふたごの日、2と5の語呂合わせ。双子並びに多胎児の育児がしやすい環境づくりを考える日。
...500枚!!エントリーシートについて!!急募!!キャッチフレーズ的な…明日提出するエントリーシートについてなのですが、「あなたを一言で表してください。」という質問があります。記入欄は、「私は( 空欄 )です。」という感じです。会社は触媒メーカーです。私は工学の大学院生で自動車触媒を研究しています。自分の性格としては几帳面、生真面目なタイプですが、だからといって「私は几帳面です。」では面白みがない奴と判断されてしまう気がします。最初は「私は人間界の触媒です。」と書くつもりでいました。ホントかどうかは置いておいて、自分を触媒に見立て、人と人を円滑につなげていく(つまり、反応させていく、触媒と同じ役割。)という感じでした。でも、今日になって、やっぱりなんかスベってる気がしてきました。なにかユーモアがあって、かつ会社の人が感心しそうな言葉を考えてもらえませんか?明日提出なので今日中にお願いします。
確かに滑ってますね。。。というか分からない人が読んでも分からないです。理解するまで時間がかかります。ユーモアに走るのであれば、「私は鈴木太郎です」とか本名を書く。もしくは「私は野球おたくです」とか趣味に走る。…なかなか難しいですね。。でも、あなたを知ってもらう為のキャッチフレーズだと思いますので、ありのままのあなたを書けばよいと思います。
朝青龍。。。引退してしまいましたね。というよりも、「引退に追い込まれた。」と言った方が正しいのか。。。酒に酔って、一般人を殴ったとかいう何が事実なんだかもハッキリしない事は置いておいて、個人的には非常〜〜〜に考えさせられた問題でしたね。って言うか、相撲協会やら、マスコミ連中の「単なる大人のイジメ」と思ったのは僕だけかそもそも「相撲」って土俵の上で、引き分けのない勝負をするスポーツでしょ国技だか何... 2月1日はプロ野球はお正月なんだそうです 今日からキャンプでしたからね トヨタさんがリコールがあって、またちょっと怪しい雲行きですから、中日さん頑張ってほしいです プロ野球に肖って、今日は厄落としということで垢すりに久しぶりに行き野球高橋建投手のニュースを見た。埼玉県警加須署は3日までに、花咲徳栄高校(同県加須市)から野球部員のグラブを盗んだとして、窃盗の疑いで同校卒業生のアルバイト榎本将広容疑者(21)=同県上尾市=を逮捕した。 逮捕容疑は昨年11月22日歴代サッカー日本代表メンバーの中で最も日本代表のレベルアップに貢献した選手または監督・コーチは誰ですか?その理由も教えてください。
デットマール・クラマーさんですかね。日本は戦前はアマチュアのレベルで一定の成功を収めていました(ベルリン五輪で優勝候補スウェーデンを逆転で破ったり)が、太平洋戦争によって大きく力を落として、世界のサッカーから取り残されていました(戦前世代と戦中・戦後世代では技術の低下がひどかったそうです)。そんな日本サッカーは1964年東京五輪に向けて強化することに。このとき日本サッカー協会が初めて海外から招いたコーチがクラマーさんでした。クラマーさんは代表の強化を行い、日本サッカーの近代化に大きく貢献、「日本サッカーの父」などと呼ばれています。クラマーさんによる強化で日本は64年東京五輪でベスト8の快進撃。65年にはクラマーさんの提言により日本リーグが誕生、日本サッカー成長の基盤となりました。なお、スポーツの全国規模のリーグはプロ野球に続いて日本史上2番目、アマチュアスポーツでは日本史上初の画期的な試みでした。クラマーさんによる強化の集大成となったのが68年メキシコ五輪の銅メダルです。アマチュアしか出場できなかった当時の五輪において事実上のプロながら形式上のアマチュアであるステートアマの共産圏のソ連と東欧がメダルを独占していましたが、この時期の五輪で非共産主義国がメダルを獲得したのは日本、スウェーデン、デンマークのみ。クラマーさんによる強化で育った選手として有名なのは杉山隆一と釜本邦茂。快足ウイングの杉山は東京五輪での活躍で海外のプロクラブからオファー。プロクラブからのオファーはおそらく日本史上初。釜本はメキシコ五輪得点王、日本史上最強のFW、代表歴代最多得点、日本リーグ得点王最多7回など得点に関する記録はたいてい保持しているとんでもないお方。ちなみに銅メダルで60年代末はサッカーブームとなっています。これに目をつけたのが読売。1969年に読売クラブを設立、70年には高校サッカー選手権の前身となる大会を日本テレビが主催することとなり、71年より現在の形へ。クラマーさんが日本に来なかったら、東京五輪、メキシコ五輪の活躍はなかったでしょうし、日本リーグ誕生は大幅に遅れたと思います。また、高校サッカーが注目されることもなかったかもしれません。おまけでもう1人、ミャンマー人のチョー・ディン。戦前の留学生でたまたま早稲田を指導するように。理論的な指導法は当時の日本人には目からうろこ状態だったようで、日本サッカーの大御所、竹腰重丸さんは彼の指導で「サッカーとは考えることができるものだと初めて知った」と回顧。チョー・ディンが日本全国でサッカーを教えに回ったおかげで日本は急激にパワーアップ、全く歯が立たなかった当時アジア最強・中華民国ともある程度互角に戦えるまでになりました。そして、ベルリン五輪でスウェーデンを破るまでになっています。